当直の佐藤陽太です。
今日は思いがけぬ、広浜食堂カルビクッパの日でした。
年に数回寒い時期に登場するこのスペシャルメニュー、佐藤は3月に一度お別れを済ませておりました。
熱く、赤く、辛い。
深みのあるスープは、牛のスネ肉と骨を長時間煮込むことでしか得られない風味。
新宿中村屋の婿となり、日本にはじめて本格的なインドカレーを伝えたインド独立の志士、ビハリ・ボース氏注1)の言葉の重みを感じます。
”本当の味は 骨にしみこんでいるのです”
ゴロゴロと入ったスネ肉がさらに、楽しみを与えてくれる。
こども病院の食堂とは思えぬ辛さですが、どこか奥行きのある香り、丸みのある辛さは韓国産の唐辛子でしか出せないものです。
大盛りなんぞ頼むと大変です。
大ぶりのラーメンどんぶりになみなみと注がれた赤いマグマを一心不乱にすすればもう、気持ちは冬のソウル。
東大門前の通路には所狭しと屋台が並び活気に満ちている。白い息を吐き、かじかむ指をこすり席に着く。寒い。芯に染み込む冷気だ。
やはり熱いクッパをもらおう。隣のおじさんはマッコリの満たされた白磁を受け取ると、のどを鳴らし一気に飲み干す。
見事なものだ。気づくと僕も、同じものを、と叫んでいた。
行ったこともない隣国へと心はトリップ。
顔を上げると、大汗をかき赤い液体をすすりこむ紅潮した顔がたくさん。素敵なお昼時でありました。
注1)ラス・ビハリ・ボース氏 インド独立を志し活躍、日本に1915年亡命。国外退去を命じられた彼をかくまったのが新宿中村屋の主人、相馬愛蔵氏・妻の黒光氏でありました。その後相馬夫妻の娘・俊子氏と結婚。不幸にも俊子氏は26歳の若さで亡くなってしまいますが、ボース氏はその後も中村屋を支えました。彼が作った「純印度式カリー」は当時一般的なカレーライスの7-8倍と大変高価だったにも関わらず人気を博しました。日本で入手できるバターに満足いかなかった彼は、愛蔵氏に頼み専用の牧場を作り、そこで特別なバターを作り用いたという。カレー作りに最も大切なのは玉ねぎでもスパイスでも鶏肉でもなく、バターです、という素敵なお話。