日直の佐藤です。
かわらずそこにあること。
この安心感にいったいどれほどのこども、そのご家族、応援する職員たちが助けられてきたことでしょう。
当センター歩みの傍らに、常に広浜食堂があります。
センター開設と同時に院内食堂としてオープンしました。
昭和45年4月、戸塚駅に(当時東戸塚駅はなかった)一人の青年が降り立った。
齢23、自らの店を構えることへの若干の不安、胸の奥に滾る昂揚感。
こども病院に食堂を作る。
六ッ川の桜は彼を歓迎したが、中華鍋と菜切り包丁の風呂敷包みが冷たい雨に濡れ肩に食い込んだ。
当時の六ッ川は国道1号が畑の中を貫く、静かな丘だった。
飲食店を営む父親のもとで磨いてきた腕は独立を望んでいたが、ぼんやりと描いた青写真より数年早い、独り立ちであった。
奇をてらわずきちんとうまいものを作る技術、若く強靭な肉体。納得のいく味のため、徹夜を繰り返した。中華鍋を振る前腕は疲れを知らなかった。
室生哲春(仮)、現在の麺担当、社長その人である。
休むことなく、働いてきた。
色々なことがあった。人もかわった、時代も変わった。
あのころはパクチーなんてなかった。
「早いもんだ、あと3年で50年か。」
すっかり白くなった髪の向こうで、ふわりと笑った。
こども病院、神奈川県立南養護学校を合わせた当センター。
創立からのメンバーとして残るのは、現在 室生ただひとりである。